静かな空間に自分の足音が響くだけで居心地が悪かった。やっぱ入らなきゃ良かったと、入った瞬間に思った。
「交代しよう、大樹」
フランソワもドクターもいない。良いのか。
何かを準備してるのかもしれない。タイミングが良いとも悪いとも言える。まあ、すぐにどちらかが戻ってくるだろうから、そうしたら私が出ていけば良いだけの話だ。
「ちょっと寝た方が良い。大樹まで倒れたら千空に叱ら……あー、笑われるでしょ」
いくら体力自慢とはいえ、友達が瀕死の重症で臥せっているのでは精神的に参ってしまいかねないし、そこまで彼がヤワではなくてもこっちが見るに堪えない。
「そうだな、ありがとう」
だから良いって、そういうの。そんなまっすぐお礼を言われたらどんな顔したらいいか分かんない。
再び静かになった空間に、私と重傷者が二人きり。
仰向けに寝かせられた千空の枕元に立つ。この絵面じゃどっちが死にかけてるんだか。
僅かに上下する胸が、彼がまだ生にしがみついてる証拠だった。
不意に薄く開かれた目が、私を捉える。あれだけ喋るなと言われてるのに何かを言いたくて仕方ないらしい。乾燥でひび割れた唇に耳を近付けた。
「 」
……嫌になる。
ただ一言、千空は私の名前を呼んだのだ。返事はしなかった。他の人間の名前でも――それこそ今あんたの面倒見てるドクターの名前でも呼んでくれたら、一瞬たりとも揺らがなかったのに。
皮肉な話だ。千空が撃たれるきっかけを作った張本人が彼の手当てをするはめになるなんて。でも、向こうに彼女の味方はきっともういないんだろう。大樹が跪いて頼んだのだから誰も何も言わなかった。今はただ、ここで生きようとする脆い命を皆で護るだけだ。そう純粋に思えたら良かった。
「千空、」
千空はどうしてこんなところにまで私を連れて来たの。
私、息も絶え絶えのあんたを見ながらさっきから結構酷いことばかり考えてるんだけど。
千空が私を「仲間」だと思うのと、私が千空を「自分をここまで引っ張り上げてきた唯一の人間」と思うんじゃ、全然釣り合わない。
千空は誰にでも同じだけ何かを与えられる人間だとしたら、私を片手間に思うことだって普通にできるんだろう。
でも私は?狭い世界に閉じ籠ってた私には、あんたの存在が迷惑なほどデカ過ぎて、知らなくて良かった感情にずっと振り回されなきゃいけないんだよ。
「あんたと居たら、私、心が幾つあっても足りない」
涙が出るなんて、何千年ぶりだろう。昔のことはよく思い出せない。
でも、これっきりだ。もうあんたのために心を裂くのは懲り懲り。千空が裂いてるんじゃなくて私が勝手に裂けてるんだけど。
「千空やここの誰かが悪いわけじゃないから。だから、役立たずでも出来ることがあるなら手くらいは貸してあげる。……全部終わるまではね」
早く終わってしまえば良い。この悪夢みたいな時間も、あんたが傷つけられなきゃいけない世界も。
2021.4.5 『世界樹の下で』
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